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樹木医師の昔の日本人はどんな野菜を食べているの?まとめ其の二

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私が育てているトマト


【すいか】

原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯です。リビアでは5000年前の集落の遺跡よりすいかの種がみつかっています。エジプトでは4000年前の壁画にすいかが描かれていて、ツタンカーメンの墳墓からは、すいかの種が発見されています。当時は種のほうを食べていたとみられます。紀元前500年頃には地中海からヨーロッパ南部へ伝来し、栽培されるうちに果実を食べるようになりました。日本に入ってきた時期は諸説あり、室町時代以降にポルトガル人が長崎すいかの種を持ち込んだ説や、隠元禅師が中国から持ち込んだ説があります。日本全国に広まったのは江戸時代後期頃で、大衆化するのは、品種改良が盛んに行われて栽培面積が広がる大正時代です。

 

【セロリ】

原産は、ヨーロッパから地中海沿岸とされています。紀元前8世紀頃の古代ローマギリシャ時代には、香料や薬草され、食用とせず男性の強精薬や整腸剤などに使われていました。また、ミイラの首飾りや、古代ギリシャのお祭りに飾られてています。16世紀の終わり頃に朝鮮半島から加藤清正が東洋種のセロリを日本にもち持ち込んだとされています。1800年頃の江戸時代に、オランダ船により西洋種のセロリがもち込まれますが、独特の強い香りのために普及しませんでした。第二次世界大戦後、盛んに栽培されるようになり、食生活が洋風化し、西洋種の「コネール種」が日本定着しました。

 

【そば】

中国の雲南省からヒマラヤあたりが原産地とされています。蕎麦とは、穀物のそばの実を原料とする蕎麦粉を用いた加工品です。古くは粒のまま粥にし、あるいは蕎麦粉を蕎麦掻きや、蕎麦焼きなどとして食べていました。蕎麦粉を麺の形に加工する調理法は、16世紀末から17世紀初頭に始まったとされています。日本での歴史は古く、9000年以上前の蕎麦の実の花粉が高知県の遺跡から発見されています。奈良時代の「続日本紀」には、蕎麦が記載されています。今のように細長い麺状になったのは、江戸時代です。朝鮮から来た僧侶によって蕎麦のつなぎに小麦粉が使われることが伝えられ、いまのような麺状のものを作ることができるようになりました。

 

【大根】

原産地は、地中海地方や中東ではないかと考えられています。紀元前2200年の古代エジプトで、食料とされていたと栽培が記録されています。中国でも紀元前500年頃には栽培が行われていたとされています。ヨーロッパ諸国での栽培が始まったのは15~16世紀頃と考えられています。日本に入ってきたのは大陸からとされています。歴史は古く、稲作より前に大根は日本に広まっていたとする説もあります。712年の歴史書古事記」に大根について記録があります。

 

【大豆】

 原産地は日本も含む東アジアです。紀元前2000年以前から中国で栽培されていたとされています。その後、朝鮮半島や東南アジアにも伝わりました。日本へは約2000年前の弥生時代に大陸から入ってきたとされます。奈良時代には、中国との交流が盛んになり、仏教とともに味噌や醤油などの大豆の加工品や加工方法も伝わってきました。奈良時代の「古事記」にも記載されています。当時はまだ特別な食物で、一般には普及していませんでした。平安時代には、医学書にも大豆の記述が多くみられます。日本で広く栽培が始まったのは鎌倉時代以降とされいます。仏教の普及とともに、肉食が禁止されていたために、必要なタンパク質を味噌や納豆から得ていました。ヨーロッパには1600年代、アメリカへは1700年代になって中国や日本から広まり、今ではアメリカは世界一の大豆生産量となっています。

 

【たまねぎ】

原産では中央アジアとされています。歴史は古く、紀元前の古代エジプト王朝時代には栽培されていました。ヨーロッパに伝わり様々な品種が作られてます。16世紀にアメリカ大陸にも伝わりました。東のアジアには伝わるのは遅く、日本では江戸時代に鑑賞用として長崎に入っていました。食用としては、明治4年に国内で試験栽培が行われて、本格的な栽培は、明治11年です。その後、明治13年に、農家で初めて栽培が行われました。明治初期に関西でコレラが流行します。たまねぎがコレラに効くという噂が広まり、それまで食べられなかった、たまねぎが食べられるようになりました。

 

チンゲンサイ

原産地は中国華南地方です。1970年代の日中国交回復の頃に日本に入ってきました。当時は、色々な中国野菜が入ってきましたが、中でもチンゲンサイが人気を集めています。

 

【唐辛子】

原産地は中南米です。歴史は古く紀元前6000年頃には、ペルーやメキシコでは栽培されていたといいます。世界各国へ広がるのは15世紀になってからです。1492年、コロンブスが第一回航海の際に西インド諸島(カリブ海に浮かぶ島)で発見し、ヨーロッパ広域に広がりました。その後日本に入ってきましたが、経緯については諸説あります。1543年、ポルトガル人による鉄砲伝来とともにもち込まれた南蛮渡来船説。1552年、ポルトガル人によるキリスト教を広めるための宣教師説。16世紀終わり頃、朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰った豊臣秀吉朝鮮出兵説などがあります。唐辛子がに日本国内へ普及されだした頃は、食用としてではなく、その辛味から毒として扱われたり、足袋に入れて霜焼け予防にしたりしたという話もあります。江戸時代になると唐辛子は人気の野菜になります。江戸や京都で盛んに栽培され、七味が誕生します。

 

【とうもろこし】

原産地はメキシコ、グアテマラ中南米だとされています。野生のとうもろこしは、4600年前にメキシコ南部に存在したと考えられています。初期の野生種は、基本的に現代のとうもろこしと同じ構造をしていました。とうもろこしが世界に広まったのは、15世紀末にコロンブスアメリカ大陸からスペインへ持ち帰ったのが始まりとされています。日本へは1579年にポルトガル人が伝えたのが最初で、江戸時代にある程度はしられていましたが、明治時代に入ってアメリカから入ってきた種実を北海道で栽培するようになり、全国に普及しました。

 

【トマト】

原産地は南アメリカアンデス山脈高原地とされています。16世紀以前、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めたとされています。ヨーロッパへは、1519年に持ち込まれますが、食用としてではなく、鑑賞用とされていました。トマトを毒りんごと呼び、毒であるとされていました。イタリアで品種改良が行われて、赤いトマトが作られるようになり食用として広まりました。17世紀末には、フランス、オランダ、ドイツなどで品種改良が行われ、ケチャップなどに加工されたり、料理の味付けに使うようになりました。一般に食用となったのは18世紀頃です。

 日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎に伝わったとされています。当時は青臭く、真っ赤な色が敬遠されて鑑賞用とされていました。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降です。日本人の味覚にあった品種が改良されるのは昭和に入ってからです。

 

【なす】

 原産地はインドの東部とされています。その後、インドから西へ向かったなすは、5世紀より前に古代ペルシャや、アラビア半島に伝えられました。東へ向かったものは、ビルマへ伝わり中国へと伝わったとされています。中国では1000年も前からなすが栽培されていたようです。ヨーロッパでは13~15世紀になって、地中海沿岸で栽培されるようになりました。その頃は、食用としてではなく、鑑賞用とされていました。アメリカに持ち込まれてから、多くの品種が栽培されるようになります。日本へは、中国からと、朝鮮半島、東南アジアからの大きく分けて3つのルートで入ってきたとされています。奈良時代には栽培されていいたと考えられます。平安時代の書物「延喜式」に記載されています。当時のなすはとても貴重で、身分の高い人々しか食べられない野菜でした。江戸時代には、初なすを少しでも早く作るために、促成栽培の技術も発達しました。あまりにも高い値段で売り買いされ、幕府が禁止令を出すほどでした。なす、一個一両、現在の貨幣価値でいうと約10万円で売り買いされていました。

 

【にがうり】

原産地はインドを中心とした熱帯アジア、アフリカと考えられています。その後中国へ伝わり、琉球に伝わとされています。1713年の文献「琉球国由来記」には、苦瓜が記載されています。また、1600~1700年代の江戸時代にも、いくつかの文献に苦瓜が記載されています。琉球国より前に江戸時代の日本へは伝えられたとも考えられています。当時は、食用としてではなく、「薬」として利用されていました。

 

【にら】

原産地は東南アジアの地域で、中国西部、ベトナム、インドなどで紀元前から栽培されていました。日本へは弥生時代に中国から伝えられたとされています。日本最古の歴史書古事記」、平安時代の薬物辞典「万葉集」にも出てくるほど古い歴史があります。昔は「整腸剤」として利用されていました。明治時代になってから野菜として栽培されるようになりましたが、独特な匂いから、それほど普及しませんでした。戦後になって餃子などの中国料理が広まったことで、広く食べられるようになりました。欧米では好まれずほとんど栽培されていません。

 

【人参】

原産地はアフガニスタン周辺です。オランダへ伝わりイギリスへと西方へ伝来し、改良が行われた西洋系、中国を経て東方へと伝わった東洋系の2種類があります。西洋系は太く短く、東洋系は細長いのが特徴です。ともに古くから薬用や食用としての栽培が行われています。日本への伝来は16世紀で、この頃は葉も食用としていました。江戸時代に栽培されていた品種は東洋系が主流でした。明治時代になって一般に根のみを食べられるようになります。東洋系は栽培が難しく生産量が少なく、第二次世界大戦後は西洋系が主流となっています。東洋系はお正月料理などとして、現在でも栽培がされていますが、栽培量が少ないため晩秋から冬以外では入手が難しいです。

 

【ねぎ】

原産地は中国の西部、中央アジアの高原地帯とされています。中国では古代から栽培されていました。6世紀頃の書物に栽培方法が記されています。ヨーロッパには16世紀の終わり頃に伝わり、アメリカへは19世紀に伝わったとされています。ただしヨーロッパでは西洋ねぎの「リーキ」が好まれました。リーキの原種は古くから存在し、古代エジプトギリシャ、ローマなどで栽培されていたといいます。日本にも朝鮮半島を通して1000年以上前に入ってきたとされています。「日本書紀」や「万葉集」などにも記されています。かつては、東日本では千住ねぎに代表される根深ねぎ、西日本では九条ねぎに代表される葉ねぎが食べられていました。近年では、その境もあまりなくなり、用途に合わせて選ぶようになりました。

 

【白菜】

原産地は地中海沿岸地方です。原種である「ブラッシカ・ラパ」は、紀元前の中国に伝わると栽培されるようになり、様々な野菜ができました。当初は結球性が弱く、17世紀頃に結球型となりました。江戸時代以前から、日本には非結球種の「ツケ菜」が渡来しますが、いずれも交雑により品種を保持できませんでした。結球白菜は、明治8年の東京博覧会に中国(清国)から3株出品さてました。その白菜の種を採って育ててもうまくいかず、中国から日本に渡来して20年目の明治28年に初めて結球白菜が誕生しました。広く普及したのは大正時代になってからです。

 

【パセリ】

原産地はイタリア半島西方にあるコルシカ島という説もありますが不明です。古代ローマ時代から料理に用いられており、薬用や歯磨き用としても使われていたとされています。9世紀頃にフランスへ伝わり、16世紀にはイギリスやドイツ、ヨーロッパからの移民によってアメリカにも伝えられました。世界で最も使わているハーブの一つです。日本には18世紀にオランダ人によって伝えられ長崎で栽培されるようになりました。栽培が本格的に行われるようになったのは明治から大正時代になったからです。

 

【ピーマン】

原産地は熱帯アメリカです。紀元前6500年頃にはトウガラシが食べられていたとされています。大航海時代コロンブスによってトウガラシはヨーロッパに伝えられ、その後改良されて甘味種のピーマンが誕生しました。日本へは16世紀にトウガラシが伝えられ、江戸時代に普及しました。甘味種のピーマンは明治時代になってから伝わりましす。当時はまだ馴染みが無い野菜で、一般家庭に普及したのは第二次世界大戦後です。

戦後、物価統制による深刻な物不足に陥りましたが、無名に近いピーマンは規制に含まれず、多く流通され食されるようになりました。

 

ブロッコリー

原産地は地中海沿岸と考えられています。古代ローマ時代に食べらていたとされています。17世紀頃には広くヨーロッパ各地で食べられるようになりました。19世紀後半になるとアメリカにも広がりました。明治初期に海外文化を積極的に取り入れるようになり、日本にも入ってきました。他の野菜と比べ痛むのが早かったブロッコリーは、広がりませんでした。第二次世界大戦後には国内でも栽培されるようになりますが、当時は同じ明治初期に入ってきたカリフラワーの方が人気があったようです。

 

【ほうれん草】

原産地は中央アジアから西アジアカスピ海西部付近と考えられています。初めて栽培されたのはペルシア地方と考えられています。東西に分かれて広まり、ヨーロッパ方面で西洋種、中国方面で東洋種が広まりました。ヨーロッパには中世末期にアラブから持ち込まれました。東アジアへはシルクロードを通って広まり、中国には7世紀頃に伝わりました。17世紀の江戸時代初期に東洋種が日本に持ち込まれたとされています。19世紀後半には西洋種が持ち込まれますが、普及しませんでした。その後、大正末期から昭和初期にかけて東洋種と西洋種の交配品種が作られましたが、昭和の初めまではそれほど一般的ではありませんでした。第二次世界大戦後には品種改良が進み、栽培しやすくなり、アニメの影響もあり一気に人気の野菜となりました。

 

【みつば】

原産地は日本各地、中国、朝鮮半島、サハリン、などの東アジアの山地に自生します。

日本でも、野生種は古くから食用とされていたと思われますが、栽培は江戸時代になってからとされています。軟化栽培もこのころから行われています。現在は水耕栽培の普及とともに生産が拡大してきました。食用としているのは日本と中国だけです。

 

【みょうが】

原産地は東アジア(温帯)です。日本の山野に自生しているものもありますが、アジア大陸からこち込まれたと考えられています。日本では古くから食用とされ、平安時代の書物「延喜式」には、天皇の食べ物として栽培された記録があり、漬物にしたと記されています。食用とするのは日本のほかには台湾と韓国の一部だけです。

 

【落花生】

原産地は南アメリカアンデス山脈とされています。ペルーのリマ近郊にある紀元前2500年前の遺跡から大量の落花生の殻が見つかっています。メキシコには紀元前6世紀までに伝わったとされています。16世紀のスペイン人修道士の記録にも記載されています。カリブ海の島々でもラッカセイの栽培が行われています。コロンブスによってラッカセイはヨーロッパにも伝えられますが、気候もあまり適さないことから広がりませんでした。18世紀以前の北アメリカでは、ラッカセイは家畜や奴隷向けの食糧として栽培されていました。南北戦争による食糧事情の悪化により白人もラッカセイを食べるようになり、「ピーナッツ」と呼ばれ愛されるようになりました。日本には東南アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、「南京豆」と呼ばれていました。ただし、現在の栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種です。

 

【らっきょう】

原産地は中国、ヒマラヤ地方です。中国では紀元前から栽培が行われ薬用として使わていたとされています。日本に入ってきたのは9世紀頃で、平安時代の書物に記されています。当時は薬用として用いられていましたが、江戸時代にに入ると食用としても用いられるようになり、広く栽培されるようになりました。

 

 

【レタス】

原産地は地中海沿岸から西アジアです。紀元前の古代エジプトでは栽培されていました。壁面にも描かれています。中国でも古くから栽培されていました。当時は結球しない葉レタスで、日本にも中国経由で平安時代に入ってきたとされています。結球レタスが日本に入ってきたのは江戸時代末期に欧米から入ってきたとさます。玉レタスが本格的に栽培が始まったのは明治時代以降です。広く普及したのは第二次世界大戦後以降です。

 

【たけのこ】

「孟宗竹(もうそうちく)」の原産地は中国江南地方です。現在のたけのこは、主に孟宗竹を指します。日本に入ってきたのは江戸時代中期頃です。中国から琉球国に入ってきた孟宗竹を薩摩の島津家藩主が琉球国から持ち帰り藩邸に植えたのが始まりとされています。「真竹(まだけ)」は中国原産、日本にも自生していると思われる竹の一種です。このたけのこは、日本でも古くから食べられていました。「古事記」にも記されています。

 

まとめ

野菜の歴史は古く、日本原産の野菜もありますが、その多くは世界各地から江戸時代から近年にかけて日本に伝えられたものが多いことに驚きます。また、古くから野菜は長い期間品種改良や突然変異をくり返して、今の私たちが食べている野菜になったのがよく分かります。私たちの数世代前の先祖は同じ野菜でも今とは全く違う品質を食べていたのでしょう。

 

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